ご挨拶
得月楼は、自由民権運動発祥の地として知られる高知県の中心部・はりまや橋のたもとにあり、明治三年(一八七○年)の創業以来、今日までその歴史と伝統を受け継いできました。数奇屋造りの佇まいから「南海第一楼」と謳われた当時の姿がしのばれます。
幕末の著名な庭師による見事な庭園、文人墨客の書画も多数所蔵していて、宮尾登美子氏の著作「陽暉楼」の舞台として全国的に知られています。
当店では山海の幸をふんだんに使った豪快な土佐の名物料理「皿鉢料理」や、旬の素材を活かし、初代板前より 受け継いだ技の粋を集めた「土佐会席」を中心に、土佐ならではの味をお楽しみいただけます。
一番の名物は毎年一月中旬から三月中旬頃にかけて咲く鉢植えの梅=盆梅をお座敷で鑑賞していただく「盆梅展」。樹齢二百年から三百年という盆梅は日本一の呼び声も高く、全国各地からたくさんのお客様がお見えになります。
明治来の伝統と新しい感覚でおもてなしする得月楼。ぜひ一度、足をお運びください。
得月楼 松岡 憲史
戦前の得月楼
陽暉楼
江戸時代、土佐藩では芝居や料亭といった豪奢な文化・娯楽は厳禁とされてきましたが、明治に入り300年ぶりに解禁。たちまち高知市中心部を流れる鏡川の河畔に歓楽街・玉水新地ができあがりました。妓楼や芝居小屋では毎夜三味線や鼓の音が鳴り響き、とても賑わっていたといいます。
多くの店がひしめき合う中、得月楼の前身・陽暉楼は明治3年(1870年)に創業しました。初代店主・松岡寅八は 会席料理の導入に加え、文化的な事業に着目。文人墨客を集めた高知で初めての大墨画会の開催、大広間に著名人の絵や書を展示するなど当時としては画期的な試みを多数行いました。これが評判を呼び、県内随一の料亭に成長。毎夜1000人を超えるお客様を迎えたといいます。
明治11年(1878年)、中秋の名月の日に 熊本城から凱旋した谷干城将軍の帰国祝いをかねて観月会を開催。その席上、将軍が「近水楼台先得月、向陽花木易為春」という漢詩から字を取り「得月楼」と命名されました。
宮尾登美子
昭和初期の花柳界を描いた宮尾登美子作「陽暉楼」。
映画化もされたこの小説の舞台となったのが、当時の歓楽街・稲荷新地にあって隆盛を誇った得月楼です。
【提携の駐車場】
駐車場代1時間分をサービスいたします。
①南街駐車場
営業時間 9時~21時
料金 最初の1時間300円 以降30分100円
②おクルマダイセイ
③ナイスパーキング